大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)880号 判決

原告

築留土地改良区

代表者理事長

大橋清治

訴訟代理人

草野功一

被告

代表者法務大臣

古井喜實

訴訟代理人

上野国夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

原告が別紙目録記載の各土地の所有権を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文同旨の判決。〈以下、事実省略〉

理由

一原告は、土地改良法一三条によつて法人格のある土地改良区であること、原告は、本件用水路及びその施設の維持、管理を目的としていること、以上のことは、当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  旧大和川は、大和盆地の諸水を集め、亀の瀬の峡谷を経て河内に入り、石川と合流して柏原から西北に向い、淀川と合流して海に注いでいたが、その河内の流域一帯は、土地が低湿なため、長雨ごとに堤防が決壊し、農業に甚大な被害を与えた。

そこで、沿岸の村々は、江戸幕府に対し、治水を切望して請願したところ、幕府は、元禄一六年になつて、旧大和川を改修することにし、一年の歳月をへて翌宝永元年一〇月一三日、改修工事を完成させた。

この工事の結果、旧大和川は、石川との合流点で、新大和川に付けかえられ、流水は、ここから西に向つて直接堺の海に入るようになつた。

そうして、旧大和川の河川敷跡の一部に東用水路と西用水路を、灌漑用水路として開さくし、旧大和川の河川敷跡や付近一帯の沼沢地などを新田(合計一、〇六三町八反二畝)に開発した。

この用水に取水するため、旧大和川の流れをせき止め新大和川へ水路を切りかえた築留(現在の柏原市上市二丁目)に、樋(一ないし三番樋、古白阪樋、新白阪樋、八尺樋、山本樋)を設けた。

(二)  本件用水路から取水をしていた関係八〇村が集まり、享保一九年(大和川つけかえ後三一年目)、築留樋組という用水路組合を設立し、樋の修繕方法やその費用負担についての申合せをした。

築留樋組は、それから以後、本件用水路及び樋などの施設の修繕、管理に当り、本件用水の慣行水利権者であつた。

(三)  築留樋組は、水利組合条例(明治二三年六月二〇日法律第四六号)によつて水利組合になり、普通水利組合法(明治二六年法律第二六号)の制定施行に伴なつて築留樋普通水利組合と改称し、水利組合法(明治四一年法律第五〇号)の制定施行によつて組織がえをしたが、土地改良法(昭和二四年法律第一九五号)の制定施行に基づき、築留土地改良区に再組織変更をした。

三以上認定の事実によると、築留樋組は、本件用水路とその施設を維持、管理してきたが、それが、再三の法律の改正によつて、原告築留土地改良区になつた。しかし、その実態は、一貫して変つていないといえる。

四そこで、原告が、本件土地の所有権者であるかどうかについて判断する。

(一)  〈証拠〉を総合すると次のことが認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(1)  徳川時代には、土地に対し、現行法のような抽象的、絶対的、包括的な支配権としての所有権(一物一権主義)はなく、所持とか支配進退といわれるところの具体的現実的な土地支配権があり、しかも、この土地支配権は、包括的なものではなく、一つの土地について領主的所持(年貢徴収の利益)と農民的所持(耕作利用の利益)とが重なり合う分割的なものであつた。

(2)  水利権者の用水の支配には、水利施設物及び用水敷地の支配を伴なつた。この支配とは、前述した所持すなわち支配進退をいうことは勿論である。

(3)  明治政府は、明治元年一二月一八日の太政官布告によつて封建領主の土地領有を廃止したが、明治五年二月一五日の太政官布告第五〇号によつて、四民(士、農、工、商)に土地の所持を許し売買の自由を認めた。そうして、明治政府は、地租改正によつて近代的土地所有制度を確立することにした。つまり、明治政府は、土地に対する税制を改革するに当り、まず土地に対する複雑な支配関係を整理し、土地に対する権利としては所有権だけを認め(一物一権主義)、この所有権者を地租の納税義務者とする必要に迫られた。

そこで、改租担当官が、地租改正の手続過程で、従来の土地の支配の実績に照らして所有権を確定したのである。そうして、改租担当官が、土地の所有を認めていわゆる地券を交付することによつて、その土地は、民有地として近代的所有権が確立する反面、地租納税義務を負担した。

(4)  明治政府は、明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号「地所名称区別改訂」によつて、全体の土地を官有地と民有地に区分することとし、官有地を第一ないし第四種に、民有地を第一ないし第三種に区分した。

官有地第三種は、「山缶丘陵林藪原野河海湖沼池沢溝渠堤塘道路田畑屋敷等其他民有地ニアラサルモノ……」などであり、これに対しては、「地券ヲ発セス地租ヲ課セス区入費ヲ賦セサル」ものとされた。

民有地第三種は、「民有ノ用悪水路溜池敷堤敷及井溝敷地」などであり、これに対しては、「地券ヲ発シテ地租区入費ヲ賦セサル」ものとされた。

地租改正に関する一切の事務を掌理した地租改正事務局(明治八年三月二四日太政官達第三八号によつて設立)は、官民有区分の具体的基準を示すため、明治八年六月二二日同局達乙第三号「山林原野池溝等官民有区別更定調方」や同年七月八日同局議定「地所処分仮規則」などを発した。

この仮規則では、「道路堤塘敷地ハ従前民有ニアラサルモノハ……官有地第三種トナシ其民有地ナルモノニシテ地税ヲ納ムルモノハ……民有地第三種ト定メ」「耕地涵養ニ設クル溜池溝渠ハ其民有ノ確証アルモノハ民有地第三種ニ編入シ……民有地第三種ト定メ民有ノ証ナキモノハ官有地第三種ト定メ」られた。

改租担当官は、布告や達などに従つて改租の事務手続を進めたが、民有地については、土地の所持者が申告したものを、調査決定し、改租担当官が、当該土地の所有者と認したうえ、地券を交付した。したがつて、改租担当官が誤つて官有地と認定したり、所有を希望する旨の申告がないため調査漏れになり民有地と認定されなかつた土地(脱落地)が生じた。

そこで、明治政府は、明治一五年一二月一二日太政官布告第五八号「請願規則」によつて、官有地に編入された土地について、府県知事に対し下戻を出願することによつて、その是正をはかつた。この制度は、国有土地森林原野下戻法(明治三二年四月法律第九九号)に引きつがれ、同法一条で下戻申請の期限を明治三三年六月三〇日までと定められた。

(5)  築留樋組は、明治八年六月二四日、堺県改正係に対し、書上(乙第二号証)を提出したが、それには、本件用水路について、「今般御改正ニ付、樋組用境目之処御調ニ付、大和川違築留始末奉書上候、尤公儀ヨリ御書下記録、先年寄合所出火ニ付火失仕候、其節樋元仕候もの共之内、手控帳ヲ以取調之処、官敷ニ相違無座候、依之従前之通御官敷地ニ被為成置度、奉願上候」記載されている。つまり、築留樋組は、本件用水路が官敷であることを認め、従来どおり官有地として取り扱うよう、地租改正係に上申したわけである。

(6)  堺県の改租担当官は、明治一二年三月ころ、地券台帳を作成したが、この台帳には、民有地と官有地の全部が登載された。

この台帳の官有地の部には、本件用水の一部である「字古大和川字分水四百拾八番地より四百三十六番地迄、一 川敷弐反七畝拾歩」 「字古大和川字分水より松井迄 一 川敷 九反四畝廿九歩」の記載がある。

この地券台帳は、明治一七年の土地台帳法、明治二二年の土地台帳規則によつて、そのまま土地台帳として引きつがれた。

現在法務局に備え付けられている旧土地台帳付属地図(公図)では、本件用水路が水色で表示されているが、これは、国有地であることを意味している。

(7)  築留樋組が、明治一四年一二月に作成した築留樋組取締方法約定書(乙第三号証の一、二)には、本件用水路中高井田用水について、「井路筋官有地ニ有之候」と明記されている。

(8)  築留樋組が、本件土地の貢納を負担したことがなく、本件土地は、旧来から除税地ないし無税地として取り扱われていた(この項は、当事者間に争いがない)。

(9)  築留樋組や築留樋普通水利組合は、下戻法の定める期限までは、本件土地の下戻を申請したことはなかつた。

(二)  以上認定の事実から、次のことが結論づけられる。

(1)  本件用水路は、旧来から無税地であつた。

(2)  築留樋組は、租税改正に当り、明治八年六月二四日付で、改租担当官に対し、本件用水路が官敷であることを認める上申をした。

(3)  そこで、改租担当官は、明治一二年三月ころ、本件用水路の敷地が官有であると認定したうえ、地券台帳の官有地の部に登載した。

(4) この改租担当官の編入処分によつて、本件土地の近代法上の所有権(一物一権主義)が、被告に帰属することが確定された。

(5) 官民有区分の具体的基準として、「耕地涵養ニ設クル溜池溝渠ハ其民有ノ確証アルモノ」が民有地第三種とされ、「民有ノ証ナキモノハ官有地第三種ト定メ」られたのである。ところで、本件用水路については、築留樋組から官敷であるとの上申があつたのであるから、改租担当官が、民有の確証がなく、官有地としての編入を希望したものとして、本件土地を官有地に編入処分したことになる。そうして、この処分は、上記の太政官布告、改正事務局の達などに合致したものといえる。

(6) 本件土地が官有地であると登載された地券台帳は、旧土地台帳に引きつがれ、旧土地台帳付属地図(公図)でも、本件土地が被告の所有になつている。

(7) 築留樋組や築留樋普通水利組合は、本件土地について、下戻申請をしたことがないばかりか、明治一四年に作成された築留樋組取締方約定書には、本件用水路中、高井田用水路の水路の水路敷が官有であると明記されている。

(8) このようにしてみてくると、本件土地の所有権者は、原告ではなく、被告であるとするほかはない。

(三)  原告は、三田用水事件の判決(最高裁判所昭和四二年(オ)第一二四七号昭和四四年一二月一八日判決、訟務月報一五巻一二号一四〇一頁)を援用して、本件土地が、築留樋組の所有であると主張している。

〈証拠〉によると、三田用水事件の特長は、改租担当者が、三田用水の水路敷について具体的にどのような認定処分をしたか、三田用水組合がすすんで官有地編入をのぞんだのか、という事実問題を認定する証拠が何一つなかつたことにある。

ところが、本件では、これらの事実問題を認定する証拠が提出され、前記認定の事実が認定できたのである。したがつて、三田用水事件の判決は、本件とは事案を異にしており、結論がそれぞれ異ることは当然である。

(四)  〈証拠〉によると、原告は、大正七年ころから、申請があれば本件用水路の堤塘や用水の使用を許可してその使用料を徴収したり、水路敷境界の明示をしたりしたことが認められる。

他方、〈証拠〉によると、八尾土木事務所は、昭和一一年以来、申請があれば水路敷境界の明示をしてきたことが認められる。

そうすると、原告に申請があれば原告が水路敷境界の明示をし、被告に申請があれば被告がその明示をするといつた混乱が長年続いただけであつて、原告が、堤塘や用水の使用許可を与えたり、水路敷境界の明示をしたことから、直ちに、原告が本件土地の所有権者であるとすることはできない。

(五)  原告は、明治一四年一二月一五日、本件土地を所有の意思をもつて占有をはじめたことを理由に一〇年又は二〇年の取得時効を主張している。

しかし、前記認定の事実によると、原告には、本件土地を所有する意思がなかつたことが推認されるから、原告のこの主張は失当である。

なお、被告は、この抗弁が時機に遅れた攻撃方法であることを理由にその却下を求めたが、原告がこの抗弁を主張したのは、当裁判所が本件について口頭弁論を終結する直前であつたこと、当裁判所に顕著である。しかし、この抗弁のため特別新期日を定めたり証拠調べをする必要がなかつたから、訴訟の完結を遅延させたものと認められない(民訴法一三九条一項)。したがつて、被告のこの点に関する申立は採用しない。

(六)  まとめ

以上の次第で、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、原告が本件土地の所有権者であることが認められる証拠がないばかりか、却つて、前記認定のとおり、被告が本件土地の所有権者であることが認められるのである。

五むすび

原告の本件請求は失当であるから棄却することとし、民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(古崎慶長 井関正裕 小佐田潔)

目録

一 大阪府八尾市所在二俣分水地点(添付の別紙築留土地改良区域図面参照)から東大阪市花園町を経由し、同市敷および稲田に至るまでの東用水路(玉串川筋)その両側の土場敷の土地面積82,004.12平方メートル(前記図面中朱線で表示した部分)。

二 大阪府柏原市上市町二丁目所在の二番樋および三番樋(いずれも取水口)から各大阪府八尾市所在の二俣分水地点(前記図面参照)に至り、東大阪市長瀬を経由し、大阪市城東区諏訪に至るまでの西用水路(長瀬川筋)敷およびその両側の土場敷の面積147,934.60平方メートル(前記図面中緑線で表示した部分)。

三 大阪府柏原市大字高井田所在の古白坂樋、八尺樋(いずれも引水口)から同市大字安堂森の坪を経て、同市上町二丁目所在の一番樋先に至るまでの高井田用水路敷およびその両側の土場敷の土地面積12,751.07平方メートル(前記図面中青線で表示した部分)。

四 以上(一)(二)(三)合計面積242,689.80平方メートル。

〈図面省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例